ある意味同じで・・・
- 2010/06/29(火) 15:55:34
いわゆる表向きでないビデオに混じって
海外の名画をダビングして流通したものが混じっている。
もちろん吹き替えも泣ければ字幕も無い。
完全ノーカットだ。流通的には裏ものである。
とはいっても多少きわどいシーンはあっても
1960年代までのフランスやイタリアのヌーベルバーグものがほとんどだ。
フェリーニやゴダールに傾倒していた。
話は変わるが日本のニューミュージックからJポップに移行する頃の
歌手で「佐藤隆」と言うミュージシャンが好きだ。
やはりこのあたりの監督の作品の世界観を下敷きに
多数作曲されている。
地中海、西アジア、黒い瞳のロマ、旅芸人
国境に降る雨、今夜も誰かに抱かれる彼女は
きしむベッドで戦場の彼のことを思い出している・・・。
かれこれ20年以上前に少しずつCDを買い足して
今では秘蔵の所蔵となっている。
主な提供曲は代表作「桃色吐息」、「アルマージ(デラシネ)」
「二十三夜」などがある。
ヨーロッパにかぶれるならこんな空気感が最高だ。
もともと近代以降日本人の欧州への憧れは強いと思う。
森鴎外の「舞姫」などは内容など無くても
映像としては十分すぎるくらいに雰囲気がある。
列車で陸橋を越えるころ、読むことをためらっていた
手紙を読む。内容は人それぞれで何がかいてあるかは
わからない。
コルドバの広場、ジブラルタル海峡、もし映画でなかったら
遠すぎる場所だ。
こんな映画や曲を聴くと地中海には行って見たいと思う。
なるべく東のギリシャや西アジアに近いところへいけたら幸いだ。
パッケージは無い
- 2010/06/28(月) 16:36:55
往年のレンタルビデオのパッケージは美しかった。
中身を鑑賞してがっかりするほど、女優さんにメイクをして
そのワンショットに入魂しているかのような綺麗なパッケージの
写真が使われていた。
そこへ行くと裏ビデオはシビアだ。
表向き流通できないためそんなものはない。
タイトルのシールさえ貼られていないのだ。
だから中を見るまで運試し的なところがあった。
それがこの上なくスリルがあってよかった。
狩猟生活の頃の人類が持っていた、ハンティングの
高揚がそこにあったと思う。
もちろんサプライズもあって
生写真のプリントが一枚同封されてくることもある。
あそこがあらわになった、メイクも証明も一切関係ない
出演者のスナップだ。
ガレージキットや同人誌的なこのノリは
今はもう無い。
時代が経過したことを実感する。
何のシールもはられていないビデオテープの山を
見つめる。
時間が経過してゆくことをゆっくりと感じることが出来る。
1972へバックトゥ!
- 2010/06/26(土) 16:26:51
今日はビデオは休みしてアナログレコードを聴く。
ちょっとまともで変な気分だ。
夏休みまでちょうど一ヶ月。
夏休みと言えば「よしだたくろう」だ。
1972年に発売された「元気です。」と言うアルバムは
多くの人の語りつくせないエピソードをはらんでいる。
六月の曇天の夕方。夏至の明るい蒸し始めた夕暮れに
1972年の無造作な青春像を垣間見ることが出来る。
「夏休み」と言う曲は回想の曲。
学生を卒業して、それを思い出していると言うもの。
だから今頃の季節に聞きたくなる。
何も変わってないとがっかりしたり、安心したりする。
個人的には「高円寺」が好きだ。
重くがさがさしたギターはその後の広島出身のミュージシャンに
受け継がれている。
同じスタンスで「りんご」という曲もいい。
そして最後の二曲の「祭りの後」、「ガラスの言葉」は
あの時代を端的に表していると思う。
何も無い時代だっただろう。
シンプルだからこそやりにくいこともあったはずだ。
そこに今とは違った新鮮さを感じることが出来る。
かってな想像かもしれないが
このアルバムにはそんなことを考えさせてくれる
余裕がまだ沢山残されているように思えてならない。
言葉の力を取り戻す
- 2010/06/24(木) 16:32:12
「裏/流出」この二つの単語にどれくらいの
コマーシャル性が潜んでいるのだろう。
1990年半ばまで、地下流通の高揚は確かにあったと思う。
パッケージ先行のだらだらの中身でも
そのウキウキ感を胸に、憤りも半減するほど
心は躍っていたと思う。
デジタルデータでもなく、フィルムでもないビデオとは
一種独特のメディアであったと思う。
映像をカートリッジ化して個人所有することの出来る媒体として
20年近くもその役目を担ってきた。
デジタルメディア化が進み、レーザーディスクからDVDへと
変遷してゆく間もそれらを補助することをし続けてきたことは
音声のみのカセットテープとともに
重要なファクターであったことは言うまでも無い。
今日のデジタルリミッターなどが少なかったせいもあって
比較的コピーが容易だったのも上下で活発に流通した
理由のひとつともいえる。
世界的潜在本数としてはかなりの埋蔵量になる。
人が一生のうちに見ることの出来る動画はどれくらいなのだろう。
そんなことを考えながらビデオを鑑賞している。
裏とつけばパラダイス
- 2010/06/21(月) 16:44:16
この漢字一文字にどれほどの想いがこめられるだろう。
全ての単語の頭に着くことで本来の世界の反対側を
露呈してくれるような
一種の耽美的陶酔感をかもしてくれる。
話は変わって、今年もまた夏がやってくる。
自然に常温にさらしておいた場合、2010年物理的に
寿命を迎えるビデオテープが何本か出るだろう。
こうして物として役目を迎えることも
諸行無常のタイムスケールの中に組み込まれた存在なのかと
諦めなければならないのだろうか。
デジタルデータ化はある程度まで進めた。
しかしかつてのアナログビデオファンには
多少引っかかる部分がある。
アナログレコードファンよりシビアだ。
しかし続けようと思う。